ローズ・マクドウォールによる2014年版“ふたりのイエスタディ”。文句なしに名曲!
「ストロベリー・スウィッチブレイドについて」
当時”2人のイエスタディ”で世界的ヒットを飛ばしていたストロベリー・スウィッチブレイド。その中心メンバーだったローズ・マクドウォールがカレント93やナース・ウィズ・ウーンドなどといった怪しげな面々と交流を持つキッカケは初期サイキックTVのギター奏者にしてコンポーザーだったアレックス・ファーガーソンを通してだった。
スコットランド出身のローズは同郷のネオアコ・グループ、オレンジジュースのレコーディングに遊びにいった際に、オレンジジュースのプロデュースを務めていたファーガーソンと出会い、その流れでサイキックTV界隈にも顔を出すようになる。やがてカレント93やNWW、コイル、デス・イン・ジューン、ボイド・ライスなどといった面々の作品に準メンバー的立ち位置で多くのゲスト参加の経験を積む。彼女の(アイドル的な)存在感もあっただろうが、何よりこ非ミュージシャンがほとんどのインダストリアル界隈において「ギターが弾ける」ことが大きかったようだ。
1988年12月にはカレント93の日本ツアーにダグラス・ピアーズやイアン・リードらと一緒にメンバーとして参加。しかし招聘元スーパーナチュラルオーガニゼーションのギャラ未払が原因で日本に約半年ほど滞在することとなる。滞在中は京都同志社大学の学園祭や松山などでライヴをしたり、また元ホワイトホスピタルのメンバーらとキャンディケイン名義でバンド活動を行った。当時の音源が残っていないのが甚だ残念である。
かなりアブストラクトな映像だが1988-1989年のカレント93来日時期をまとめた貴重な映像がコチラ!
「伝承音楽としてのアポカリプティック・フォーク&ネオ・フォークについて」
そもそもはアブストラクトなノイズ音響で儀式魔術的世界を構築していたカレント93がアコースティック・ギターを手に(とはいえデヴィッド・チベットはギター弾けないが)アポカリプティック・フォーク路線へとシフト・チェンジしたのは、彼らの世界観(北欧神話、異教主義など)をトラディショナル・ミュージックとして世に伝え残そうという戦略があるという。童謡や民謡、子守唄など作者不明のまま唄い継がれる作品を残したい・・・・・そういう意図らしい。また歌の内容もメッセージの明確性をあえてぼかし、”かごめかごめのうた”のように様々な解釈可能なものが用いられるようになる。実際、カレント93や元デス・イン・ジューンのトニー・ウェイクフォード(彼はDIJ結成当初からルーン魔術を実践していた)らのライヴに集まる客層はいわゆるインダストリアル・ミュージック・ファンのみならず、トラッドやフォーク好きの老若男女も多いとのこと。これは同じインダストリアルから派生し、カレント93やDIJ同様の欧州復興主義、北欧主義を唱えるパワーエレクトロニクスの客層がほぼ白人男性に限られることと対比すると興味深いといえよう。