サマー・オブ・ラブ、その繁栄と腐敗

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    サマー・オブ・ラブ、その繁栄と腐敗

    ビート詩人グレゴリー・コーソが「50年代にビート・ジェネレーションが文学で描いたことをヒッピーは現実にした」と再三語っていたように、ヒッピーの起源をたどればジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグといったビート世代に行き着く。

    ヒッピーはそんなビート世代より一回り若い世代のボヘミアンを指した名称であり、1960年代中頃より発生した。

    もともとはニューヨークのイースト・ビレッジがヒッピー発祥の地とされるが、その後ヒッピーたちはサンフランシスコに集中、ヘイト・アシュベリーを拠点にコミューンを形成していく。

    ニール・キャサディ(注1)も運転手を務めたサイケデリック・バスやアシッド・テストでお馴染み、ケン・キージー(注2)率いる“メリー・プランクターズ”。「革命とは街頭演劇である」をスローガンに極左思想を貫いたアビー・ホフマン(注3)率いる“イッピーズ”。後にウッドストックで重要な役割を果たすも、メンバーからマンソン・ファミリーを輩出した“ホグファーム”。ヘイト・アシュベリーを拠点としたアングラ新聞“サンフランシスコ・オラクル”編集者アラン・コーエン(注4)、ティモシー・リアリー、リチャード・アルバート(注5)などの一派。そしてエメット・グローガン(注6)らによる行動派アナーキズム・アート集団“ディガーズ”など・・・・・。

    これらグループはサイケデリック体験に触発され、(それぞれの思想的違いはあれども)既存の文明社会から逸脱し、自分たちのルールで自治空間を確立していく。そしてその空間には当然のように大量のアシッドがばら撒かれていた。

    やがて1963年ケネディ大統領暗殺事件、ベトナム戦争泥沼化などを背景に反戦運動や公民権運動が加熱するなか、1967114日作家アラン・コーエンの呼びかけのもと、サンフランシスコのゴールデンゲートパークにてヒューマン・ビーイン(注7)が開催される。

    ヒューマン・ビーインにはアレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダーやティモシー・リアリーなどが参加。グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ビッグブラザー・ホールディング・カンパニーなどの無料コンサートが(参加者たちのアシッド酩酊と相まって)絶大な盛り上がりを見せるなか、リアリーによる「ターン・オン、チューン・イン、ドロップ・アウト」(8)が世界に向かって宣言された。フラワー・ムーブメントの本格的幕開けである。

    ビーイン運動はマスコミにも大々的に取り上げられ全米各地に伝染する一方、ヘイト・アシュベリーはヒッピーに憧れる人々の聖地とみなされるようになり、巡礼の地を多くの人々が目指すようになる。

    ピーク に達したのがその年1967年夏。伝説のサマー・オブ・ラブ到来である。

    アシッドによる変性意識の影響で「今すぐにでも世界革命がおこりうる、世界は変わる、物質至上主義や経済至上主義から脱却して真の人間性を回復させよう。愛こそすべて!」そう信じる若者たちで溢れかえるヘイト・アシュベリー。

    しかしその確信はヘイト・アシュベリーの自治コミューンでは浄化できないほど大量(4万〜10万人)の若者流入(注9)、それに伴う治安悪化(伝説のLSDディーラーが立て続けに惨殺された!)、大量生産LSDの粗悪化、変わってハード・ドラッグの蔓延、なかでもヘロインの蔓延(注10)が深刻化する。

    ヒューマン・ビーイン以降、さんざん持ち上げていたメディアもサマー・オブ・ラブ突入以降のヘイト・アシュベリー惨状に対し「クレイジーなヒッピーたちによる犯罪問題」を煽るようになる。さらに悪いことにその「クレイジーなヒッピーたち」を見学するための「(自称)いたって普通のアメリカ人」観光客が観光バスに乗ってやって来るようになり、ディガーズなどヘイト・アシュベリーのコミュニティと警察の抗争激化(注11)に拍車がかかる。

    サマー・オブ・ラブ1967年の夏が過ぎるころにはオリジナルのヒッピーたち・・・・・ビーイン以前よりヘイト・アシュベリーでコミューンを作り上げた人々は、この聖地がもはや手のほどこしようのないバビロンへと変貌したことを認めざるを得なくなった。

    その年の冬、ヘイト通りにてディガーズを中心にヒッピーの葬儀がとり行われる。ヒッピーを象徴する服やアクセサリーが黒い布に覆われた棺へと詰め込まれ、参列者たちが見守るなかヒッピーの魂は火葬された。

    むかしむかし、ひとりの男がビーズを身につけヒッピーになった

    そして今日 そのヒッピーはビーズをはずし、

    人間になった  自由な人間に!

    残したものはすべて捨て去り

    ヒッピー  マスメディアの献身的な息子

    境界線は消えた

    サンフランシスコは自由だ!いまや自由だ!

    真実がいま、知らされた、知らされた、

    知らされた!

    *葬儀参列者に配布された追悼カード文より(注12

    こうしてオリジナルな意味でのヒッピーは自らの死を受け入れ、ヘイト・アシュベリーからほかの約束の地へと離散していくこととなる。そして1970年代にはその新たなる土地土地でヒッピーの種子はニューエイジ運動へと成長、展開していくこととなる。

    (注1)ニール・キャサディ1926-1968

    ジャック・ケルアック代表小説”路上”のモデルともなったビート族伝説の男。ビート・ジェネレーションとヒッピーを繋いだ。ちなみにサマー・オブ・ラブの翌年1968年、メキシコの線路上で全裸で死んでいたのを発見されている。死因は不明のまま。

    (注2)ケン・キージー 1935-2001

    小説”カッコーの巣の上で”でお馴染みの米作家。1964年よりサイケデリック・ペイントを施したバス「ファザー号」に乗り込み全米にLSDを配布してまわった。

    (注3)アビー・ホフマン 1936-1989

    米政治活動家。1969年ウッドストックでザ・フーのステージに乱入し「こんなことしてる場合じゃないだろ!今すぐ(ホワイトパンサー党の)ジョン・シンクレアを刑務所から救出しなきゃダメだみんな!!」とアジるも、激怒したピート・タウンゼントにギターでブン殴られたエピソードは思い出すたびに涙を誘う。

    (注4)アラン・コーエン 1936-2004

    米国詩人。サンフランシスコ・オラクル編集人にしてビーインのオーガナザー。サマー・オブ・ラブ以降はジェリー・ブラウン元州知事などと繋がりカリフォルニア州のマリファナ合法化運動に奔走した。

    (注5)リチャード・アルバート1931-

    別名ラム・ダス。ティモシー・リアリー同様ハーバード大学心理学教授だったがこれまたリアリー同様サイケデリック研究のためアカデミック世界よりドロップアウト。著書”ビー・ヒア・ナウ”は現在もスピリチュアルやトランスパーソナル心理学界隈で絶大な影響力を持つ。

    (注6)エメット・グローガン 1942-1978

    ピーター・コヨーテらとともにアナーキズム劇団としてディガーズを創立。ディガーズ・コミュニティでは「フリー」を合言葉にディガー・シチューなどの食べ物やメディカル・クリニック、宿泊施設、銀行(さすがに短期間だったが)、さらにはアシッドまでが無料で提供された。一方、ティモシー・リアリーなどのサイケデリック楽観主義や、アビー・ホフマンの極左政治路線には終始シニカルな態度を貫いていたことで知られる。

    (注7)ヒューマン・ビーイン

    ベトナム反戦運動における座り込み(シットイン)からインスパイアされたといわれる、社会における人間回復を求める人々の集会。詩人、政治家、音楽家、演劇家、前衛芸術家、快楽主義者、ヒッピーなどがニュー・パラダイムを求めて集合。この運動は世界に広がり、この時代のみならずセカンド・サマー・オブ・ラブの影響での1989年マイケル・ゴズニーらによるデジタル・ビーイン、そして2001911テロを受けての新ヒューマン・ビーインが2002年より東京より復活。東京での新ヒューマン・ビーインは谷崎テトラ氏などを中心に現在も911に最も近い日曜日の明治公園で毎年開催されている。

    (注8)ターン・オン、チューン・イン、ドロップ・アウト

    ターン・オンは自らの神経や遺伝的な資質をアシッドなどで活性化させろ、チューン・インは自らの周囲の世界と調和を保って相互作用しろ、そしてドロップ・アウトは活動的で選択的で優美なる離脱の進め・・・・・このような意味を込めてのティモシー・リアリーの宣言だったが、多くの世間では「クスリをキメて学校や仕事を放り出そうぜ!」と誤解される結果を招いた。

    (注9)若者流入

    真剣に自分の生き方を模索していたオリジナル・ヒッピーと異なり、年齢層もぐっと下がったことによりドラッグやヒッピー・カルチャーを自らの向上に使えない、自分の面倒もみられない人間が多く集まるようになった。

    (注10)ヘロインの蔓延

    アラン・コーエンなど多くの関係者が「ハード・ドラッグの蔓延は警察によるコミュニティ潰しの作戦であり、供給源はFBICIAである」と語っている。

    (注11)コミュニティの抗争は激化

    ディガーズは観光バス誘致のためにヘイト通りが一本通行にされたことに抗議。観光バスがヘイト・アシュベリーに入って来るとバリケードを築き迂回させて抵抗した。

    (注12)追悼カード文より

    マーティン・トーゴフ著、宮家あゆみ翻訳”ドラッグ・カルチャー アメリカ文化の光と影(1945-2000年)”清流出版社より抜粋


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