少年時代からニコラ・フラメル(14世紀の錬金術師レジェンド)に傾倒したり、中世アンシアル書体(19世紀当時のフランス人のほとんどが読解不可)を好んで使用したり、同郷作家アルフォンス・アレー(サティに「黒猫」でのピアノ仕事を紹介したナイスガイ)からエゾテリック(秘教的)サティとあだ名付けられたり・・・・・何かと神秘主義大好きっ子だったサティ。
そんなサティが24歳の1890年、仕事場の「黒猫」でジョゼフ・ペラダンと出会い、彼が主催する秘密結社「聖堂と聖杯のカトリック薔薇十字教団」に参加するのは必然、シンクロニシティだったのかもしれません。
このペラダン、正統ローマ・カトリックを自称する神秘主義者であり、作家。彼の小説“至上の悪徳”や“アンドロギュヌス”はサティも愛読していたとのウワサ。
「芸術家とは聖杯を求める騎士である」がペラダンのモットーであり、産業革命以降の物質主義によって絶滅させられた魔術、神秘主義を19世紀末に芸術の力で復活させる野望に燃えていました。魔界転生芸術ルネッサンス運動家といったところでしょうか?
ペラダンは場末のピアノ弾きでくすぶっていた若きサティを、自らの秘密結社の公認作曲家、兼聖歌隊長として抜擢します。
1892年ペラダン主催の「薔薇十字展」開催。これが初日だけで何と1万1千人以上の動員を記録!そしてこの盛況すぎるイベントのオープニングには毎回サティによる“バラ十字教団のファンファーレ”が演奏されました。サティにとって公での作品発表はこの時が初めてだったということです。
しかしサティとペラダンの蜜月は長くは続きませんでした。バリバリのワーグナー信者だったペラダンと、非ワグネリアン代表とも呼べるサティの確執は日に日に深まり、1893年にはサティがペラダンと絶交、薔薇十字教団も脱会します。
しかしそこはサティ、普通なら「いやーやっぱカルトの奴らってアタマおかしいわw」となりそうなものですが、彼はすかさず自らが教祖となる「首都芸術教会」なる秘密結社を立ち上げます。それも教祖、信者含めサティただ一人のみ!
教団の新聞も発行、これまた発行人、読者含めサティただ一人!!しかも毎号サティのアパートに郵送してたというから驚きです。何故にそこまで?????
このようなサティの神秘主義傾倒がどのような経緯を経て“家具の音楽”へと行き着いたのでしょうか?
次回「あなたの聴かない世界vol.5 アートとセラピー 相互浸透としての環境音楽」では神秘主義とアンビエントの関わりも検証できたらと考えています。
みなさまよろしくお願いいたします。
「あなたの聴かない世界 vol.5 アートとセラピー 相互浸透としての環境音楽」
会場:大久保バー・ブエナ
http://buena.tokyo/access
日時:2015年7月26日(日)open19:00 start19:30 1500円+1ドリンク
出演
伊達伯欣(つゆくさ医院、イルハ、オピトープ)
http://www.ele-king.net/columns/regulars/otokokorokaradakarte/
http://tsuyukusa.tokyo/
永田希(Book News代表)
http://www.n11books.com/
http://honz.jp/search/author/%E6%B0%B8%E7%94%B0%20%E5%B8%8C
持田保