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あなたの聴かない世界書籍化原稿 新魔女運動とフェミニズム

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    新魔女運動とフェミニズム

     

    米国クリーブランドのラジオDJアラン・フリードが新番組“ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティー”をスタートし、世界初のロックンロール専門放送が誕生した1951年、海を渡った英国では虚偽霊媒行為取締法、いわゆるアンチ・ウィッチクラフト法が廃止され魔女としての活動が法律上認められるようになる。

     

    ロックンロールと同時代の新魔女運動を真っ先に牽引したのはジェラルド・ガードナー(注1)だった。若い時分に南アジア、東南アジアでのプランテーション経営や税関役人勤務で財を成したガードナーは引退後、本格的にオカルティストへの道を歩みだし、やがて「新魔女運動の父」とまで呼ばれるようになった。

     

    ガードナーの魔女理論はかつてマーガレット・マレー(注2)による著書で描かれた世界を土台としながら、1946年晩年のアレイスター・クロウリーの協力のもと魔女理論のニューウェイブ化を図ったものであった。

     

    それまでのオールドウェイブなウィッチクラフト(魔女宗)、ウイッチ(魔女)のおどろおどろしい中世イメージから脱却を図るべく、ガードナーはウィッチから「ウイッカ」に、また魔女術もフリーメイソン風に「クラフト(術)」と言い換えた。この新しい魔女理論は1954年出版されたガードナー著“今日のウィッチクラフト”の大ヒットにより広く世に普及するが、ヒットの影にはガードナーに執筆協力した大魔女ドリーン・ヴァリアンテ(注3)による女性的まなざしの強化(もともとはクロウリー的男性原理主義要素が強かったが、ヴァリアンテによって薄められた)があったことは忘れてはならない。

     

    ともあれ“今日のウィッチクラフト”は魔女のパブリックイメージのポップ化をうながした。ガードナーの宗派はガードナー派と呼ばれるようになり、ガードナー派を中心とした魔女宗は伝統派を名乗るようになる。

     

    しかしガードナーが伝統派を名乗り、ガードナー派として世間から認知さえるようになると、その反動として「ガードナーよりも自分たちの方が由緒正しい魔女だ」「自分たちの方が魔女として歴史がある」という古典派、ウィッチ派が複数名乗りをあげるようになる。

     

    彼らはこう主張する「(ガードナーの)ウィッカは従来のウィッチクラフト(魔女術)とは無縁である」と。とはいえ何が「正しい魔女」なのか?例えば「ウイッカは儀式の際に全裸が基本だが、ウィッチではそれはあり得ない」など異なる点は存在するものの、あくまで形而上学的な領域の話なので答えはでないのが実情だ。

    そんなウィッカ論争の一方、1960年代に突入するとガードナー派レイモンド・バックランド(注4)の渡米を皮切りに新魔女運動のアメリカ進出が始まる。アメリカに渡った新魔女運動は、移民大国であるかの地の多文化混合エッセンスを吸収。かつて黒人音楽と白人音楽のミクスチャーによってロックンロールという文化革命が誕生したように、ハワイのフナやハイチのブードゥー、欧州の妖精信仰、カバラ、タントラ、グノーシス主義などとミクスチャーされた新魔女運動はビクター・アンダーソン(注5)の手によりフェリ・トラディションと呼ばれるネオペイガン・ウィッチクラフト運動を西海岸カウンター・カルチャー内に誕生させる。フェリ派はこれまでのウィッチクラフトの枠を大きくはみ出し、やがて政治運動にもコミットしていくようになる。

     

    そして時代的シンクロニシティなのだろうか、新魔女運動と政治運動の関わりを象徴する運動が今度は1968年ニューヨークで発生する。ラディカル・フェミニズム運動W.I.T.C.H.の発生である。

     

    キング・ジェームズ版聖書のサミュエル記による「反逆は魔法(Witchcraft)の罪である」から引用されたW.I.T.C.H.という言葉付けを用いることによって、この運動体は父権的価値観での「○○であってはならない」価値観にノーを突きつける。

    例:Womens International Terrorist Conspiracy from Hell (地獄からの女性国際テロリスト陰謀団)、Women Inspired To Commit Herstory (彼女の話にコミットするよう促す)など

     

    W.I.T.C.H.は当時フルクサスで活動していた小野洋子などの支持を受けながら、キリスト教における「歳を取った女性=醜い老女Crone」に対する(死や破滅のイメージさせる)マイナス感を反転させ、ウィッチという言葉の持つ「悪い魔女」的なイメージをあえてアイデンティティといして用いることで女性の原初のパワーを取り戻そうとした。この「意味を反転させる」作業こそがフェミニスト・スピリチュアリティの重要ポイントであるという。

     

    そしてこのW.I.T.C.H.は英国から発生した伝統的ウィッチクラフトやウィッカとは全く別のベクトルから魔女というものをとらえなおした点も評価される。W.I.T.C.H.1969年には活動停止するが、カトリック神学者メアリー・デイリー(注6)のフェミニズム神学のみならず、前述のフェリ派であるスザナ・ブタペストやサラ・カニンガム(注7)といったフェミニスト魔女へも多大なる影響を及ぼすこととなった。さらに彼女たちアクティヴィストらは父権制の象徴としてのキリスト教へのカウンターとして女神信仰を復興させる。

     

    そしてこのようなW.I.T.C.H.、フェリ派、女神信仰の流れから登場したのがスターホークという存在である。スターホークは1951年、本名ミリアム・シーモスとしてミネソタのユダヤ教徒の家に生まれるも少女時代早々に家出。ニューヨークで掃除婦をしながらの居候生活中に夢でメッセージを受け取る。「大空を翔る鷹が舞い降りて老女に変身する。私はこの老女に守られている」「誰かが西海岸に帰るよう言っている・・・・」。このメッセージを受け彼女は自らをスターホークと改名。タロットの「星」と夢で見た「ホーク」に由来する深層自己に従ったものだという。

     

    ロサンゼルスに移り、カルフォルニア大学に入学(1973年卒業)しつつ前述のサラ・カニンガム、スザナ・ブダペストから魔術を学ぶ。しかしブダペストらのカブンが男性禁止だったのに対し、スターホークは性別を超えた(同性愛者含む)広く共感する人々と連携。環境問題から政治問題までも含めたわれわれの生活全体にかかわるものとして魔術を捉え、活動の中心にしていく。

     

    1981年オレゴンでの米軍基地反対のポリティカル・アクションで初めて公権力に逮捕されて以来、毎年のように逮捕されるようになる。WTO(世界貿易機関)に反対したシアトルのデモや、大企業の水の独占に反対するデモにおいてダンスを踊り、タロットカードを読み、水を呼び求める儀式を行う。こうしたダイレクト・アクションによる政治的活動も、日々の自然のなかに生きる術も、スターホークにとってはすべて魔女の活動なのである。

     

    スターホークは自らのウイッチクラフト理論を次のように解説する。「女神信仰は想像を絶するほどの古い歴史を持っている。しかし、現代のウィッチクラフトは過去の再興にとどまらず、女性たちからウィッチクラフト活動に力を入れ、積極的に女神を呼び起こそうとすることによって、まさにルネッサンス、新生、再創生を経験している。これは女性の力の正当性と恩恵を体現する女神の復活である。世界を支配しない、すべての生命に対する愛こそがウィッチクラフトの基本論理である」と。

     

    1980年スターホークはフェミニストのための精神性とカウンセリングのセンターとしてリクライミングというコミュニティをサン・フランシスコに創設する。「取り戻す=リクライミング」の名の通り、女性が受けた暴力による精神的な痛みを、女神信仰や新魔女運動により「癒やす」ことが目的とされた。この「癒やし」を求道する姿勢は1960年代カウンターカルチャーが1970年代に入りニューエイジ運動へと転化していった時代の流れと無関係ではないだろう。

     

    しかしニューエイジ運動が1987年“ハーモニックコンバージェンス”を堺に脱政治運動化、商業化していった流れとは異なり、パーマカルチャー実践などスターホークの政治活動家としてのアクションは「癒やし」と同等に継続されていく。1970年代中盤以降フェミニズム魔女運動は政治運動としてのフェミニズム・アートと、閉鎖的な信仰集団としての新魔女運動、女神運動が分離してしまった現在においてスターホークの存在は異端(ペイガン)であり続けている。

     

    (注1)ジェラルド・ガードナー(1884-1964)

    新魔女運動の父。リヴァプールで生まれ、幼少より欧州を転々とし、青年期には南アジアや東南アジアでプランテーション経営や税関職員として財を成す傍ら、現地の土着宗教や呪術の研究に没頭。退職後英国に戻ったガードナーはニューフォレストで女性参加可のフリーメーソン組織コ・メーソン系グループであるクロトナ同砲団(初代リーダーはアニー・ベサント)に加入。ガードナーはクロトナ同胞団の内部秘密組織でイニシエーションを受け魔術師となったという。1946年にはアレイスター・クロウリーと出会いOTOに入信。クロウリーの協力を得てウイッチクラフト(魔女術)の基礎を構築。1951年英国で魔女法が廃止された後の1954年、ウィッチクラフトの理論書”今日の魔女”を出版。これが魔女ブームに火を付けることとなる。

     

    (注2)マーガレット・マレー(1863-1963

    現代魔女運動の雛形を作った人物。元ロンドン大学助教授、エジプト考古学が専門だが、民俗学にのめりこみ1921年”西洋における魔女崇拝”を出版。魔女の起源を前キリスト教的なディアナ信仰であると宣言。その後1931年には”魔女の神”1954年”イングランドの神聖王”を出版。魔女三部作と呼ばれたマレーの著作はマレー自身による想像、客観性の乏しいファンタジー要素が大きく、アカデミズム的には価値のないものだった。しかしマレーが描いた魔女の儀式やカヴンの様子の描写はそのまま後世の魔女運動に受け継がれることとなった。

     

    (注3)ドリーン・ヴァリアンテ(1922-1999

    現代ウイッチクラフトの母と呼ばれる英国大魔女にして詩人。1953年初期ガードナー派の女司祭となるも、ガードナーがこだわったクロウリー的魔術感に反発。1957年にはガードナーと袂を分かつ。しかし彼女の存在がなければガードナーの著書“今日のウィッチクラフト”の成功はなく、新魔女運動の発展もなかった。

     

    (注4)レイモンド・バックランド(1934-)

    ロンドン出身のウィッカン。1960年ガードナーと出会いガードナー派のイニシエーションを受ける。1962年には米国に移住し、ガードナー派魔女術を布教。しかし1972年にはガードナーから離脱し、サクソン族の民間信仰をミクスチャーしたシークス・ウィッカを設立。現在はサンディエゴで隠遁生活を送っているという。

     

    (注5)ビクター・アンダーソン(1917-2001)

    ニューメキシコ州クレイトンにて労働者階級の息子として生まれるも、幼少期より視覚障害となる。その関係でメキシコやハワイ、ハイチなどの民間信仰に関わるようになり、やがてアフリカ人女性よりイニシエーションを受けたとされる。1960年代カリフォルニアでペイガン運動の一派としてフェリ・トラディションを創設。アレキサンドリア派のウィッチクラフトとハワイのフナなど各国のペイガンをミクスチャーさせた運動はフェリ派と呼ばれるようになる。

     

    (注6)メアリー・デイリー(1928-2010)

    米国カトリック神学者。カトリック保守の牙城であったボストン大学在任中の1968年、著書“教会と第二の性”を出版。カトリックの父権主義を非難し大問題になる。その後もフェミニズム神学を追求するも1999年には同校を事実上解雇。しかしその後も活動を継続しフェミニズム・スピリチュアリティに多大なる影響を及ぼした。

     

    (7) スザナ・ブタペストやサラ・カニンガム

    スザナ・ブタペストはハンガリー出身の米国魔女であり活動家、作家。女神ディアナを崇拝する女性のみの団体ダイアニック・ウイッカ創始者。サラ・カニンガムはフェリ派のゲイ魔女。


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      • 2018.10.21 Sunday
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