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あなたの聴かない世界書籍化原稿更新 日本ヒッピー秘史 新宿ビートニックから部族、そして「いのちの祭」

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    日本ヒッピー秘史 新宿ビートニックから部族、そして「いのちの祭」

     

     

    1950年代米国で物質文明からドロップアウトした若者たちがビートニクス(注1)と呼ばれたように、高度経済成長著しい1960年代の日本でも新宿ビートニクと呼ばれる一握りの前衛な若者たちが存在した。

     

    彼らは同時期発生した新宿フーテン族(注2)と微妙な距離感を保ちながら、マスコミからビートと呼ばれることを嫌いやがて自らを「バム=BUM(のらくろ者、浮浪者)」と自称するようになる。これはジャック・ケルアックの”ザ・ダルマ・バムズ”から命名されたものと思われる。

     

    1966年には詩人ナナオ・サカキ(注3)や長沢哲夫(注4)、山田塊也(注5)らが中心となり日本初のポエトリー・リーディング集会「バム・アカデミー第一回フェスティバル」を安田生命会館ホールにて開催する。翌1967年には「バム・アカデミー第二回フェスティバル 世界の滅亡を予告する自由言語による集会と行列」を新宿厚生年金会館ホールにて開催。同年サマー・オブ・ラヴの象徴であったサンフランシスコでのヒューマン・ビー・インに参加したビート詩人ゲイリー・スナイダーも参加したこのフェスティバルでは「ゼロ次元」(注6)などハプニング集団も入り乱れ、読売アンデパンダン展流れの前衛アートとビートが渾然一体となっていた当時の状況を表していた。

     

    この時期、風月堂(注7)など新宿を拠点としていたバムだったが、管理社会化やクリーン化が進む新宿に見切りをつけ1967年に詩人である山尾三省(注8)による国分寺グループと合体。自らを「部族」と宣言し、都市生活と決別したコミューン活動へと運動形態を移行させる。その数は2030人ほどだったという。

     

    当初の「部族」のコミューンは国分寺の「エメラルド色のそよ風族」、富士見高原の「雷赤鴉族」、そしてトカラ列島諏訪瀬島の「がじゅまるの夢族(後にバンヤン・アシュラマと改名)」の三つ。諏訪瀬島のコミューンには67年ゲイリー・スナイダーが訪れ、ティモシー・リアリーが調合したLSD25によるアシッド・テストが行われる。また69年には米国ニューエイジ雑誌”ザ・ホール・アース・カタログ”が諏訪瀬島のコミューンを「インドのゴアやアフガンのカブールと並ぶヒッピーの聖地」として紹介。世界中のヒッピーから注目されるようになる。

     

    その後「エメラルド色のそよ風族」と「雷赤鴉族」は1970年に解散するも、そこから宮崎の「夢みるやどかり族」や「祈るカマキリ族」、奄美大島の「無我利道場」など新たな「部族」コミューン運動を展開。また「部族」以外からも東京練馬の「蘇生・谷原ファミリー」など1970年代には大小さまざまなコミューンが発生。1975年には日本全国のコミューン関係者がネットワークの深化をもくろみ「ミルキーウェイ・キャラバン」(注9)を開催するなどムーブメントとして盛り上がりを見せた。

     

    しかしムーブメントの継続は難しく、長くて10年、早いものでは12年たらずでほとんどのコミューンが解散を余儀なくされる。原因としてはコミューン内部の人間関係も大きくあるだろうが、それぞれの土地土地での地域共同体との軋轢も大きかったようだ。彼らが当時携わった環境運動はその土地で暮らす人々の利害関係や人間関係にデリケートな波紋を巻き起こしたし、「一日中働きもしないヒッピー集団が共同生活してる」得体の知れなさは、保守的な住人たちには到底受け入れられるものではなかったのかもしれない(注10)。また1973年から社会問題となった新新宗教団体の出家ブームとコミューンが混同されたケースもあったであろう

     

    1977年ニューエイジ運動が精神世界という呼び名で「カウンター・カルチャー不在のまま」日本に広がりをみせる頃になると、集団共同生活コミューンというカタチではなく、長野県大鹿村など一定地区に家族や個人単位で移住し地域コミュニティを形成する手段が取られるようになる。

     

    1986年チェルノブイリ原発事故を受けて反原発運動が活性化した1988年。かつての「部族」とその仲間たちを中心に「ノー・ニュークス、ワン・ラヴ」を掲げて長野県八ヶ岳のスキー場で「いのちの祭」が8/1から8日間キャンプ・インにて開催される。おおえまさのり(注11)を実行委員長に喜納昌吉、喜多郎、山口富士夫、カルメン・マキ、南正人、上々颱風といったミュージシャンから広瀬隆、ナナオサカキ、保坂展人からホピ族のトーマス・バニヤッカなど、詩人、市民運動家から政治家、シャーマンまで交えての多岐に渡る参加者が集結。音楽のみならず、環境問題をテーマとしたシンポジウムやワークショップ、映画”ホピの予言”(注12)上映、シャーマンや神道儀式など、オルタナティヴなギャザリングを展開。大手企業や有名ブランドの資本力も活用し約1万人の集客を記録。当時のマスコミに”和製ウッドストック”と取り上げられ話題となり、現在に続く野外パーティの礎を築いた。

     

    以降「いのちの祭」は2000年の鹿島槍スキー場、2012年富士山すそのはらキャンプ場と12年おきに大きな祭りを開催(注13)。2000年以降は「部族」からポスト・ヒッピーとしてレイバーやトランス・パーティ族、トラベラーなどにその精神は継承されていくこととなる。

     

     

    (注1)ビートニクス

    ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ウイリアム・バロウズなどを中心に1955年から1964年頃まで米国文学界で異彩を放った集団”ビート・ジェネレーション”は1957年人類初の人工衛星”スプートニク”が宿敵ソ連から打ち上げられた背景から、冷戦期の旧世代より「ワケのわからない奴ら」という侮蔑的意味でビートニクと呼ばれるようになったという

     

    (注2)新宿フーテン族

    1960年代前半より新宿を中心に歌舞伎町のJAZZ喫茶や風月堂などにたむろした若者たち。マスコミのあおりを受け1967年ピークを迎えたフーテンたちは地下生活から新宿駅東口のグリーン・ハウス(緑地帯)に溢れるようになり、道端でのシンナー吸引や睡眠薬遊びなどのアンモラルな生態をともなって”青春コジキ”などと呼ばれ世間の注目を浴びた。同年警視庁に「フーテン課」が設立。1968年新宿騒乱事件をキッカケにブームは終息していった。

     

    (注3)ナナオ・サカキ1923-2008

    戦時中予科練体験後1950年代より放浪をはじめた詩人。バム・アカデミーや部族の最長老にして草分け的存在。1969年より米国に渡りアレン・ギンズバーグやゲイリー・スナイダーと行動を共にした後、世界各地を放浪。詩集“犬も歩けば”“地球B”などを残し日本よりも米国など海外での評価が高い。ゲイリー・スナイダー“亀の島”翻訳も手がける。

     

    (注4)長沢哲夫 1941-

    通称ナーガ。「新宿のランボー」と呼ばれた詩人。15歳で高校をドロップアウトし、ナナオ・サカキと放浪を始める。1963年より日本在住中のゲイリー・スナイダーや日本に立ち寄ったアレン・ギンズバーグと親交をはじめる。

     

    (注5)山田塊也 1937-2010

    通称ポン。元々は画家を目指す似顔絵師だったが60年代ナナオ・サカキやナーガと新宿で知り合いドロップアウト、バム・アカデミーや部族へ参加する。1988年には”いのちの祭り”をオーガナイズ。日本ヒッピー史を記録した”アイアムヒッピー”や大麻本”マリファナX”など執筆。

     

    (注6)ゼロ次元

    加藤好弘を中心に1960年に結成された前衛パフォーマンス芸術集団。「人間の行為をゼロに導く」をコンセプトに全裸パフォーマンスなど反芸術儀式を展開。1971年には三里塚闘争の日本幻野祭にも出演するが、加藤らの逮捕にともない1972年以降は活動休止を余儀なくされる。

     

    (注7)風月堂

    1946年より新宿の現ビックロ付近で営業していた名曲喫茶。戦時中禁止されていたクラシック・レコードをかける喫茶店として滝口修造や岡本太郎、寺山修二などが出入りする文化人サロンだったが1960年代より外国人観光客用パンフレット“11ドルで暮らすTOKYOガイド”で「日本のグリニッジ・ヴィレッジ」と紹介されるなどもあり不良外国人のたまり場化が進行。それにともない新宿ビートニクやフーテンもたむろするようになった。1973年閉店。

     

    (注8)山尾三省1938-2001

    「部族」国分寺グループ「エメラルド色のそよ風族」中心存在である詩人。当時社会からドロップアウトしていた新宿バム・アカデミーに対し、市民生活を営みながらコミューン活動を展開。富士見高原の「雷赤鴉族」コミューンの土地購入や国分寺の日本初ロック喫茶「ほら貝」の権利購入などは国分寺グループの経済基盤の上に成り立っていたという。

     

    (注9)ミルキーウェイ・キャラバン

    コミューン運動のネットワーク組織であった「星の遊行群」主催のキャラバン。19704月より約半年間、個人の旅を基本としながらも新月や満月などを目安にあらかじめ設定された集合ポイントに皆が集いコンサートや集会を開いた。オープニング集会は御殿場の日本山妙法寺で開催。裸のラリーズや南正人、アシッドセブン、タージマハール旅行団、久保田真琴らが参加。またこのキャラバンから誕生したのが西荻窪のほびっと村である。

     

    (注10)保守的な田舎の住人たちに受け入れられなかったのかもしれない

    90年代初頭の話だが高円寺でレゲエ・バーの店長をしてた僕の知人が「東京はバビロンだから」と長野の田舎のほうに移住するも、赤い色の無地Tシャツ着てただけで知らないオヤジに「貴様はアカか?」と激ツメされるなどが続き一か月ほどで東京に戻ってきたエピソードを個人的に思い出す。

     

    (注11)おおえまさのり1942-

    1965年映画製作のためニューヨークに渡った際ティモシー・リアリーやラム・ダスと出会いサイケデリック・カルチャーに開眼。1971年インドにてチベット仏教を知り”チベット死者の書”を翻訳出版。1975年ミルキーウェイ・キャラバンの後に西荻窪ほびっと村でプラサード編集室を立ち上げメンバーのひとりとなる。1988年と2000年「いのちの祭」実行委員長。現在は八ヶ岳で文筆活動、自然農法やコミュニティ活動を続けている。

     

    (注12)ホピの予言

    1986年宮田雪製作。アメリカ先住民族ホピ族のメッセージをテーマとしたドキュメンタリー映画。

     

    (注13)大きな祭りを開催

    小規模では1990年大山、1991年六ヶ所村、1999年と2002年チェンマイ、2012長野県上伊那郡にて「いのちの祭」が開催された。


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