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「近代日本における霊的イデオロギーの系譜」原稿

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    「あなたの聴かない世界」書籍化に向けての原稿作成作業、少しずつ進行させていきます

     

    「近代日本における霊的イデオロギーの系譜」

     

    1868年、明治維新により日本はそれまでの幕藩体制から天皇制へとシフト化が図られ、国義や国体といった近代国家としての枠組みが導入された。これにより近代化と天皇制というふたつの流れが混ざり合いながら近代日本が形成されていく。

     

    明治政府は王政復古、祭政一致から神仏分離令(注1)を発令。神仏分離令は決して仏教の排除を目的とするものではなかったが、結果として廃仏棄釈運動に発展し、国家神道へと繋がっていった。

     

    天皇中心統治と国家主義、そして啓蒙的近代合理主義に基づいたこの国家神道イデオロギーは、靖国神社や護国神社など(イデオロギーにのっとった)新興神社を続々と建設していく一方、神社合祀(注2)により多くの民俗的公共空間として機能していた神社を廃していった。

     

    南方熊楠(注3)を筆頭とする当時の知識人らの反対運動もあって、神社合祀は1910年(明治43年)以降は収束するも、日本各地の大多数におよぶ祭礼習俗が根絶やしにされ、土俗的宗教信仰に多大なるダメージを残した。

     

    また幕末期から明治初期にかけて大量発生した新宗教ニューウェーヴ・ムーブメント勢力も、天理教や丸山教などいくつかが国家神道イデオロギーの弾圧対象となった。

     

    水戸学(注4)や儒教的権威秩序志向、そして啓蒙的近代合理主義をバックボーンにして、国家神道は「国の祭祀」であり「宗教を超えたもの」と明治政府により認定。メタ宗教化が図られる。

     

    これに対して宗教的要素を受け持つ側の神道や、新宗教ニューウェーヴ一派は「教派神道」(注5)への帰属と、国家神道への従属を迫られることとなる。

     

    そして「教派神道」に帰属してもなお、国家神道イデオロギーから危険視され、歴史上まれにみる弾圧を受けた教団、といえばやはり大本だろう。

     

    以下はその大本と、大本から派生したグループについて記していきたい。

     

    <大本弾圧と出口王仁三郎1871-1948>

    1934年、玄洋社の頭山満、黒龍会の内田良平とともに革新的右翼団体「昭和神聖会」(注6)を結成した出口王仁三郎。その結会式を九段の軍人会館(現在の九段会館)で盛大におこなったり、会の支持者が800万人以上だったり、しかもその全国游説では大集会に白馬にまたがって登場したりと、やることなすこと当時の権力サイドを刺激しまくっていた王仁三郎。

     

    さかのぼること1921年の第一次大本弾圧では不敬罪、新聞紙法違反にて実刑&神殿破壊されるも、1927年大赦令によって自由となった大本。しかし1928年みろく大祭における王仁三郎の「みろく宣言」(注7)、そしてこの昭和神聖会結成をトリガーとして、1935年に壮絶な第二次大本弾圧を招いてしまう。

     

    政府は王仁三郎と幹部61名、信者三千人以上を治安維持法、不敬罪で逮捕。拘留中には過酷な拷問も行われ死者も数名でており、また大本の全施設はダイナマイトで徹底爆破されつくした。

     

    なぜに当時の政府はここまで大本、出口王仁三郎を危険視していたのか?その背景をまとめてみたい。

     

    幕末期から明治初期にかけて日本各地で巻き起こった新宗教ニューウェーヴ・ムーブメント。その流れを受けて、金光教、黒住教、九鬼家などの影響のもと、1892年亀岡の北部にある綾部にて大本教の開祖、出口ナオが神がかりをおこす。ナオに降臨したのは「艮の金神」だといい、当初は村人たちから狂人あつかいされていたナオも、日清戦争開戦とその勝利を予言するなどの実績により一転して女司祭へと祭り上げられる。

     

    一時は丹波一体に勢力をのばしていた金光教にナオは取り込まれるも、いいように利用されているだけと気づき失望。しかし1898年、静岡の稲荷講社にて霊学を学んだ上田喜三郎こと出口王仁三郎という強力すぎるオルガナイザーを得て大本教団が誕生する。

     

    王仁三郎はナオに憑いた「艮の金神」こそ、世界の創造主「国常立尊」であると確信。「三千世界ひとつに丸めて万劫末代つづく神国の世にいたすぞよ」というNOW(新世界秩序)な国常立尊のメッセージを現実世界に投射すべく、出口王仁三郎と大本は「世なおし」運動を展開。

     

    稲荷信仰や山岳信仰といった民間シャーマニズムから発展した神道系新宗教の多くが、明治維新以降の新しい日本を創る基礎としての宗教イメージを打ち出し信者獲得しつつも、やがては国家の枠におさまっていき、教派神道世界のなかでしか発展できなかったことに対し、大本はその枠を大きく逸脱する。

     

    そんな大本は社会の現状に不満を持ち、新しい世界を求めた若いエネルギーを吸収。そのエネルギーは在野のみならず、陸軍や海軍の重要人物にまでおよんだ。

     

    しかし当然の帰結として大本、および出口王仁三郎の「世なおし」運動は、「天皇を通して日本や世界を救う」当時の皇国運動とは微妙にその関係性を危ういものとさせた。

     

    また、当時の日本政府が1910年の幸徳秋水の大逆事件、1923年大杉栄、伊藤野枝殺害事件、1933年小林多喜二拷問死事件など、共産主義、社会主義を潰した後も、陸軍や一般社会にくすぶる反社会エネルギーが宗教に集結するのを恐れた背景もあったという。

     

    そんな政府の不安を尻目に、前述の「みろく宣言」や右翼勢力と結託した昭和神聖会結成。その他にも出口王仁三郎は、1924年矢野祐太郎(後の神政龍神会代表)を通したモンゴル独立運動、1925年には仏教、道教、回教、キリスト教までもひとつにまとめあげるべく北京にて「世界宗教連合会」を設立。そして1925年のシベリア独立運動・・・・・とワールドワイドな「世なおし」運動を展界。このような経緯から1935年の第二次大本弾圧に繋がり、1945年の日本敗戦まで大本の活動は停止する。

     

    敗戦後みたび蘇った大本だったが、弾圧をきっかけに大本から分派した生長の家や世界救世教が戦後急成長的に信者を増やしていったことと比較して、大本の飛躍は落ち着いたものとなった。「世なおし」思想が時代とそぐわなくなったとの見方もあるが、日本の近代化と天皇制、伊勢派と出雲派の霊的関係などを考えるに、大本、および出口王仁三郎は現在も霊的イデオロギーの視点において最重要な存在であるのは間違いないだろう。

     

    <大本分派の流れ 友清歓真1888-1952>

     

    「新道天行居」や「霊的国防論」でおなじみ友清歓真は地元山口県では、そもそも政治運動に熱中する青年だったという。政治運動から霊的イデオロギー運動へ目覚め、山籠りなどを経て密教、神道を修行。

     

    その後1918年、すでに入信していた浅野和三郎を訪ねるため大本を訪れた際、大本の政治的主張(おそらく世直しや建て替えといった部分)に共鳴し、そのまま大本入信。しかし翌年1919年には政治的理由で大本を離脱している。

     

    これは大本二大経典のひとつ“大本神論”(注8)の解釈をめぐって、浅野和三郎、友清歓真、谷口雅春といった当時の幹部が「大正10年立て替え説」を終末思想として急進的に唱えたことが大きな要因と考えられる。

     

    事実、幹部のなかでも友清は「大正10年頃には欧州大戦に続き、日本対世界の大戦がおこり、さらに天災地変も同時に発生し、一人も助からない」と断言するなど、最も終末思想が強く、大本内部からも「大本神論の解釈が一方的すぎる」と批判された。

     

    大本離脱後の友清は静岡県に移住し、本田親徳(注9)系統の霊学を学び、“乾坤一擲”“事実第一”といった大本批判の書を発表。

     

    1920年には霊学実践団体「格神会」創設。格神会は翌1921年山口県防府に移住し名称を「天行居」と改称。これが発展し、1927年山口県熊毛郡田布施町(注10)の石城山麓にて神道系秘密結社「神道天行居」を創設するに到る。

     

    神道天行居は反ユダヤ、反フリーメイソンを唱え、日本を霊的レベルで擁護する「霊的国防」を提唱。結社創設時より中国と北朝鮮の国境にある白頭山や洞爺湖、十和田湖、琵琶湖、明石海峡や富士山麓などに神璽を鎮め、夜間修法を実践することでユダヤ人の陰謀から日本を守ろうとした。しかし、大戦時の政府からは「武力戦を軽視する害悪思想」としか見られていなかったという。ちなみにこの霊的国防は後の三島由紀夫“文化防衛論”(注11)にも多大なる影響を及ぼしたとの説もある。

     

    神道天行居の霊的権威の象徴は友清が1927年、堀天龍斎(注12)より京都で「皇室にのみ伝えられる神事最大の秘事」である太古神法を伝授されたことにあるという。この太古神法は友清の死後、現在も神道天行居の宗主、および幹部に伝承されているといわれている。

     

    <大本分派の流れ 浅野和三郎1874-1937>

    「日本スピリチュアリズムの父」と呼ばれる浅野和三郎は茨城県稲敷郡の医者の家に生まれる。東京帝国大学で小泉八雲ことラフカディア・ハーンに英文学を学び、卒業後は海軍機関学校(現在の防衛大学)にて英語の教官として約15年勤務。同時に第一線の英文学者として多くの訳書を発表。近代日本のインテリを代表する人物だった。

     

    しかし自分の息子が原因不明の病気にかかった際、唯一治療できたのが当時の近代医学ではなく祈祷師だった事実をキッカケに心霊研究に没頭。心霊研究の実践場として大本に魅入られ1916年海軍機関学校を退官。大本のある京都府綾部に移住し、翌1917年入信。

     

    浅野の大本入りを機に、それまで地元農民中心のローカル・コミュニティにすぎなかった大本に、中央から軍関係者や知識階級が多数入信するようになる。大本は全国進出へと勢力を伸ばし、浅野は幹部として出口王仁三郎の片腕となり辣腕をふるった。

     

    大本の機関紙“神霊会”の主筆兼編集長として教義の宣伝、広報活動に努めるほか、本田親徳から伝わる鎮魂帰神法(注13)を大本においてカリキュラム化したのも浅野であったという。

     

    やがて浅野は大本が買収した新聞社、大正日日新聞の社長に就任するも、1921年第一次大本事件で不敬罪、新聞紙法違反を理由に出口王仁三郎らとともに逮捕、投獄されてしまう。

     

    同年、逮捕された出口王仁三郎以下大本関係者は保釈されるも、大本の経典であった“大本神論”は発禁となり、これを受けて王仁三郎は第二の大本経典となる“霊界物語”口述筆記に着手。しかし“大本神論”にこそ霊的な「何か」を見出していた浅野(注14)は、同じく幹部であった谷口雅春とともに1923年大本を離脱する。

     

    離脱後、東京に戻った浅野は大本思想を継承しながらも宗教色を廃した心霊研究を目指し、同年谷口雅春とともに「心霊科学研究所」を設立。これが日本におけるスピリチュアリズム運動の夜明けとなった。

     

    同士であった谷口雅春は途中で宗教家として別の道を歩むものの、浅野は1928年ロンドンで開催された「第三回国際スピリチュアリスト会議」に日本代表として参加。「近代日本における神霊主義」をスピーチするかたわら、ロンドン、パリ、ボストンなど世界各国を回り霊媒や降霊会に参加、スピリチュアリズム関連の文献や情報を多数日本に持ち帰った。

     

    1929年には名古屋で「中京心霊協会」、大阪「大阪心霊科学協会」、そして東京で「東京心霊科学協会」が相次いで設立された。

     

    1937年浅野和三郎死去後も「心霊科学協会」は活動を存続。大戦時はさすがに活動停止に追い込まれたものの、戦後には「日本心霊科学協会」として財団法人化。歴代の理事には「あなたの知らない世界」でおなじみ新倉イワオも在任していた。

     

    また浅野和三郎の妻、浅野多慶子は霊能力者としても知られ、1929年から1936年にかけて霊言(トランス・トーク)を行うようになり、その霊界見聞録は“小桜姫物語”として浅野和三郎にまとめあげられた。

     

     

    <大本分派の流れ 岡本天明1897-1963>

     

    大本関連の啓示として有名な「日月神示」で知られる岡本天明は1897年岡山県倉敷で生まれる。幼少より霊能力を持ち、また絵の才能荷も長け新聞紙上で「天才少年」と称賛されるものの、健康上の問題からか画家の道は断念し、明治大学卒業後の1920年に大本が運営する大正日日新聞(社長は浅野和三郎)に入社。同時期に大本へも入信。

     

    1921年第一次大本事件の際は浅野和三郎などが逮捕されるも、天明は「単なる職員」とみなされ無罪。だが社長逮捕に伴い失職してしまう。

     

    それでも1925年には大本の機関紙、人類愛善新聞編集長を務めるなど大本の活動に従事していたが1935年の第二次大本弾圧を機に離脱。しかし大本とのその後の関係は険悪なものではなく、ゆるいかたちで繋がっていたものとみられる。

     

    1944年千葉県成田市にある麻賀多神社内にある天之日津久神社参拝の際、国常立尊(注15)の神示が岡本天明に降り、自動書記によって「日月神示」が文章化される。

     

    トランス状態で自動書記化された「日月神示」は漢数字やわずかなカナ文字のほかは、アブストラクトな記号や絵文字で構成されており、書記した天明自身ですら解読不能であった。困った天明はこの「日月神示」を大本に持っていき解読依頼をしたが断られた逸話も残っているという。

     

    それでも天明の仲間の霊能者や神典研究者たちの協力を得て少しずつ解明が進み、現在「ひふみ神示」「一二神示」などとして世に知られるようになった。東京大空襲の預言や、三千年の大洗濯と大峠など、大本系譜の終末論が特徴といえよう。

     

    1947年には「日月神示」に共鳴した人々により宗教法人「ひかり教会」設立。天明はその初代会長に就任。

     

    1961年まで天明の自動書記は継続するも、1963年死去。

     

    <大本分派の流れ 谷口雅春1893-1985>

     

    「生長の家」創始者&初代総裁であり、現在の「日本会議」に絶大なる影響を及ぼしている谷口雅春は1893年神戸に生まれる。

     

     早稲田大学英文科で首席クラスの優等生だったものの1914年に中退。その後大阪の紡績会社で技術工として暮らすが、そこでもトラブルをおこし退職。しかしそのトラブルをきっかけにスピリチュアリズムに関心を持つようになり、1918年大本に入信する。

     

     大本では機関紙の編集主幹を務めるなど幹部として将来を嘱望されるが、1921年第一次大本事件を期に翌1922年浅野和三郎とともに大本を離脱。その理由については、大本が「大本神論」から「霊界物語」へと経典をシフトさせたことが原因説、予言「1922年5月5日最後の審判」が外れたことに失望した説、または大本が天照皇大神の霊統を天皇家から出口家に移し替える霊的クーデターを企む秘密を知った説など諸説もろもろあるが、詳しくは判断できない。

     

    ともあれ1923年には浅野和三郎が設立した「心霊科学協会」に参加しつつ、19世紀米国で広まったニューソート運動(注17)の影響を日本でいち早く受け、これを自己啓発ならぬ「光明思想」とネーミングし、機関紙発行を通して世に広める。

     

    1929年末、瞑想中に「今起て!」という神の啓示を受け、文筆活動を通してニューソート流成功哲学を全世界に宣布すべく個人雑誌「生長の家」制作に着手。翌1930年「生長の家」創刊をして立教となる。

     

    1936年には教化団体として「生長の家」を東京にて設立。大本が国家から弾圧を受けまくったのと対照的に「生長の家」は 戦時中、日本の軍国主義体制に賛同姿勢を貫く。

     

    しかし貫きすぎて軍歌である”海行かば”に対し「こんな暗い歌を歌っていては戦争に負ける!」と反対運動を起こし、特攻に弾圧を受ける一幕もあった。

     

     敗戦後の1949年「生長の家教団」法人化。「大東亜戦争に敗れたのは飽くまでも無明(まよい)と島国根性に凝り固まった偽の日本であって、神州日本国は敗れたのではない」と主張。日本国憲法も「GHQが日本を弱体化させるため押し付けた無効の憲法」と述べ「明治憲法復元運動」を主張。

     

    1974年臨済宗円覚寺の貫主、朝比奈宗源(注18)の呼びかけを受け、宗教界の復古主義団体「日本を守る会」を結成。「日本を守る会」は1981年発足した論憲・改憲団体「日本を守る国民会議」(注19)と1997年に統合され「日本会議」となった。

     

    1975年より生長の家総本山を長崎県に移転させ、晩年は総本山内の総裁公邸にて執筆や講話活動を行う。1985年、91歳で死去。

     

    (注1)神仏分離令

    明治元年(1868年)太政官布告により命じられた神仏判然令。儒教や国学、復古神道に基づき、それまでの神仏習合から神道と仏教を完全に区別させるのが目的で実施された。

     

    (注2)神社合祀

    1906年から1914年にかけて内務省神社局主導のもと実施された勅令。一町村一神社を基準にローカルな神社を取り壊していった。それまで全国で約20万社あった神社のうち7万社ほどが廃され、特にひどかったのは伊勢神宮のある三重県で、約9割の神社が強制的に処分されたという。

     

    (注3)南方熊楠1867-1941

    和歌山県田辺の博物学者、生物学者、民俗学者。抜群の頭脳とエキセントリックなキャラで有名。1990年代初頭山本正志監督、町田町蔵主演で南方熊楠の映画「熊楠KUMAGUSU」制作が試みられたが資金難のため頓挫した。

     

    (注4)水戸学

    江戸時代、現在茨城県北部の水戸藩にて徳川光圀(aka水戸黄門)による「大日本史」作成のため集められた学者たち(当時は朱子学が多かった)の学問体系をベースに、幕末期には儒教や国学、史学、神道などがミクスチャーされ形成された政治思想学問。尊王攘夷運動の原動力となり、明治維新以降の中央集権イデオロギーに多大なる影響力を及ぼした。

    (注5)教派神道

    「宗教ではない」国家神道に対して、明治政府が「認可した」民衆信仰的宗教団体。神道大教、黒住教、神道修成派、神宮教、出雲大社教、扶桑教、寛行教、神道大成教、神習教、御嶽教、神理教、禊教、金光教、天理教の14派が公認。後に神宮教が神社本庁へ格上げされたため、残りが教派神道の神道13派と呼ばれるようになった。大本は神道大成教の傘下団体として活動していた。

     

    (注6)昭和神聖会

    右翼結社黒龍会とガッチリ手を結び「皇国維新」をアジりまくった憂国運動団体。その霊的ファシズム運動については現在も評価が分かれるところだが、第二次大本事件から察するに当局は本気で王仁三郎が国家転覆をたくらんでいたと考えていたとしか思えない。

     

    (注7)みろく宣言

    王仁三郎が満56歳7ヶ月の宣言。自らが弥勒菩薩であり、救世主であると言いきった。

     

    (注8)大本神論

    文盲であった出口なおの「お筆先」をもとに王仁三郎が漢字を当てるなどして、読みやすくしたもの。「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現われて三千世界の立替え立直しをいたすぞよ」という宣言を基軸し、大本思想の根幹をなす。しかしその解釈をめぐっては一元化できるものではなく、教団分裂、不敬罪として大本弾圧の要因ともなった。

     

    (注9)本田親徳1822-1889

    薩摩出身の明治時代神道家。鎮魂帰神法など本田霊学を確立し、出口王仁三郎、友清歓真、荒深道斉など後の古神道新宗教に多大なる影響を与えた。

     

    (注10)田布施町

    「1867年王政復古大号令発祥の地である」「明治天皇替え玉説」「長州藩田布施一味の国家乗っ取り」・・・・・etcいわゆる「田布施システム」として現在も陰謀論渦巻くポイント。陰謀の真意は不明だが、霊的磁場としては相当なものがありそう。

     

    (注11)文化防衛論

    学生運動最盛期1969年に三島由紀夫が発表した代表的評論。当時の昭和元禄と呼ばれた風俗としての日本文化を痛烈に批判し、「文化概念としての天皇」の意義を論じた。

     

    (注12)堀天龍斎

    京都の茶人とも仙人とも伝えられるが詳細は不明。

     

    (注13)鎮魂帰神法

    古代朝廷で行われていたとされる秘法であり、古神道における降霊法のひとつ。ただ霊を降ろすのではなく、審神者(さにわ)によってその霊の性質(良い霊か、悪い霊か)を見極め、邪霊や悪霊であればそれを善霊へと変化させる技法。

     

    (注14)“大本神論”にこそ霊的な「何か」を見出していた浅野

    浅野和三郎は出口王仁三郎よりむしろ出口なおの「お筆先」に心酔していたとの説もある。

     

    (注15)国常立尊

    「古事記」では国之常立神、「日本書紀」では国常立尊と表記される日本神話の根源神。古神道、新宗教で重要視される神であり、出口なおに降りた「艮(うしとら)の金神」が国常立尊であり、スサノオでもあるとされる。また陰謀論的にはルシファーとの説も噂され不穏な存在として(しつこいようだが陰謀論的には)恐れられている。

     

    (注16)ニューソート運動 米国プロテスタント系カルヴァン主義の「反現世利益追求」に反発したキリスト教異端運動にして霊性運動。キリストの力は我々ひとりひとりの内に存在する、としてのワンネス思考と、メスメリストや心理療法、クリスチャン・サイエンスを混合させたニューエイジの源流のひとつにして自己啓発運動のルーツ。

     

     (注17)朝比奈宗源1891-1979 鎌倉の円覚寺住職にして臨済宗円覚寺派管長。TVドラマ”水戸黄門””大岡越前”の題字を手がけたことでも有名。伊勢神宮参拝の際に「世界の平和も大事だが今の日本のことをしっかり やらなければいけない」との天啓を受け1974年「日本を守る会」結成する。

     

     (注18)「日本を守る国民会議」

    「涅槃交響曲」によりナショナリズムに開眼した黛敏郎を議長に、保守系文化人や保守系団体、旧日本軍関係者などを中心に1981年発足した論憲、改憲を主軸とする言論団体。代表委員として三波春夫も所属していた。

     


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