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テリー・ライリー&ドン・チェリーについての雑感

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    ここ数日、ドン・チェリーについて考えているのだが、僕のようなパンク/NW世代的にはドン・チェリーといえばやっぱネナ・チェリーのパパ(実際は義父だが)であり、その存在を知るキッカケはリップリグ&パニックだったりする。
    英国人気TVコメディ”The Young Ones”出演時のリップリグ。
     
    娘かわいさから?ドン・チェリー自身もネナがVo.を務めるリップリグ作品に喜々として参加。1983年のリップリグ来日公演の際は普通にメンバーとして同行していた。
    うろおぼえだがこの時期、ドン&ネナ親子が日本のTVコマーシャルに出演していた気がするのだが、ちょっとググっただけでは判明しなかったので気のせいかもしれない。
     
    最近のネナ・チェリー。スーサイドの曲やってます。
     
    で、そのリップリグのメンバーが最高にハマってたのがドン・チェリー1975年”Brown Rice”だったらしい(ネナ・チェリー談)
    ミステリアスすぎる異教ファンキー・ジャズ???
     
    1970年代のドン・チェリーといえば故国アメリカを離れスウェーデンはコペンハーゲンに移住。妻のモキ・チェリー、娘ネナ・チェリーらとともにコミューン的生活をおくりつつ、トルコ人ミュージシャンらとオーガニックな音楽探求を模索していた時期。
    そんなオーガニック志向が爆発したのがドン・チェリー&オーガニック・ミュージック・シアター。
    無国籍にもホドがある架空の民族サイケ。ノーネック・ブルース・バンドの原型???
     
    アメリカを離れたドン・チェリーと合流したのが1970年よりインド音楽探求のため一切の作曲活動を放棄したテリー・ライリー。現在執筆している原稿はこの1975年ケルンでの音源。以前ヴァイナルでリリースされていたが、内容はけっこう異なる。”The Descending〰”と”Sunrise〰”のライリー曲2曲が完全バージョンで収録。しかし”Untitled”は未収録。おそらく権利上の問題かと推測される。
     
    この2人の出会いがいつからなのかはナゾ。1972年ライリーのインド音楽師匠パンディト・プラン・ナートがNYにてワークしたとき、ドン・チェリーも参加してたし、さらにさかのぼれば1970年にはドン・チェリーのセッションにライリーが参加してた記録も残っている。ひょっとしてサックス奏者時代のラモンテ・ヤング(彼はドン・チェリーと共演していた)を通じて1950年代から顔なじみの可能性も捨てがたい。
    パンディト・プラン・ナートとラモンテ、ライリー、マリアン・ザジーラの70年代レア映像
    原稿できるまでもう少し時間ください。下記が現在手掛けている作品2点。ディスクユニオンにて予約受付中。よろしくお願いいたします!!!!

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      • 2017.09.20 Wednesday
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