".あなたの聴かない世界vol.12“オカルトとナショナリズム”まとめ前編
2016年12月18日 大久保ブエナにて
進行:持田保、永田希
ゲスト:宇田川岳夫(フリンジカルチャー研究家)
開場時、カール・ハウスホーファー設立のヴリル協会で霊的修練の基礎となった「リンゴを使用した発芽訓練」の故事にちなんで来場者にそれぞれリンゴがふるまわれる。
ゲスト宇田川氏より2016年大分で行われたイベントの映像ダイジェスト。 「水面下でオカルト世界的ネットワークができている」宇田川岳夫
<近代から現代へのオカルティズムの系譜>
オカルティズムは戦前から存在し、何度も何度もカタチを変えて出てくる。
その主流の流れとは別に、「オリジナルな」オカルティズムを作ろうとする運動もかつてはあった。
ところが日本は戦前大本弾圧に象徴されるように、反天皇制的オカルティズム、反体制的オカルティズムは戦前ある時期から徹底的に弾圧されるようになる。
独ナチスも1937年にはフリーメイソン禁止、同時期オカルト活動禁止がなされる。この弾圧により独オカルティズムはナチスSSが独裁。その象徴となるのがアーネンエルベだった。
現在日本に伝わっている欧州のオカルティズムは、そんなナチス弾圧から逃れたイギリスやアメリカの支部から戦後となり日本に伝わってきた背景がある。
ここで注目なのがナチズム時代、ナチスに根絶やしにされたOTOやトゥーレ協会などの流れとは異なる、欧州でのもうひとつのオカルティズムの系譜がある。この系譜は日本には全く入ってこなかったが、近年その発掘作業が水面下で進行してるとの噂もある。
<日本とドイツの霊的イデオロギー>
1924年、出口王仁三郎モンゴル独立運動、そして現地での身柄拘束について。
「日本人が政治的不安定な外国でアブナイ勢力に捕まった」「それを救出するために現地に軍隊が進出した」という現代にもつながる構図。日本軍部の大陸進出のストーリーのなかに組み込まれるも、このアブナイ構図には王仁三郎は自ら進んで参加した側面もある。これが大本の怖いところ。
1934年、出口王仁三郎が右翼大物の頭山満、内田良平らと救国運動団体「昭和神聖会」創設これがトリガーとなり第二次大本事件勃発。大本は神殿をダイナマイトで爆破、王仁三郎ほか幹部たちも逮捕され死者が出るほどの拷問が繰り返される。
この徹底弾圧で大本の活動は日本敗戦までストップするも、結果として大本は宗教団体として数少ない非戦争参加団体となった。
モンゴルといえば外モンゴルを支配したロシア白軍ウンゲルン・フォン・シュテルンベルグの存在も重要。
ナチス・オカルティズムの重要人物カール・ハウス・ホーファーに多大な影響を与えたという。このウンゲルンのようにドイツ系ロシア人は危険思想が多かった。
そのカール・ハウスホーファーはかつてチベットでグルジェフの弟子だった。ナチス創設に影響を及ぼしたトゥーレ協会の会員であり、ヴリル協会創設者。ミュンヘン一揆でヒトラーが獄中にいたとき、ヒトラーに予知能力を伝授したと伝えられる。
ハウスホーファーは1908年から1910年まで日本に在住。そのとき密教系秘密結社「緑竜会」に入会。「緑竜会」では入会時にそれぞれ重大な使命が与えられる。そしてその使命の遂行に失敗したものは自殺しなければならない誓いをたてる。
ナチス崩壊後の1946年、ハウスホーファーは日本式の切腹自殺を果たした。ハウスホーファーの使命とは???
<KKKとノルディック・イデオロギー>
19世紀から20世紀初頭にかけて中央集権が非常に揺らいでいた地域が日本、ドイツ、そしてアメリカ。もちろん他にも、世界中が揺れていましたけど。この日独米の3つの地域を比較すると興味深いことが見えてくる。
第一次KKKは南北戦争の南軍残党により結成された秘密結社。黒人の選挙妨害など。
第二次KKKはアジア人排斥運動。ノルディック・イデオロギー。北方民族優生思想。アメリカ最初の移民はアイルランド、スコットランドなど北方白人が多く、北方民族優生思想は自己肯定のために重要だった。
しかし20世紀になるとアジア人の流入が大きくなり、WASPがアジア人たち(と北方優生思想が「地中海人種」と呼ぶ南ヨーロッパ人たち)を導かなければならないというイデオロギーが流行。
第2次KKKは、1920年以降にプロの興行師を雇い急速に拡大。最盛期には900万人ものメンバーがいたという説もある。この数字そのものは眉唾だが、そう言いたくなるほどの規模の巨大さだった。
ワシントンDCやフィラデルフィアで行われた数万人規模のパレードは現在でもyoutubeで見ることができる。これは、のちのナチスのパレードと酷似している。
この時期のKKKは、中産階級に広く枝を伸ばし、当時の禁酒法などの表向きの道徳に擦り寄っていた、ある意味でポピュリズム的な性格がある。
のちに黒人を爆弾やリンチで殺しまくるテロリスト集団である第3次KKKとは対照的ですらある。なお、トランプの父も第2次KKKメンバー。
第2次KKKの創設者は元フリーメーソンで、1920年以降の拡大に際しては、フリーメーソンその他の秘密結社のネットワークが活用されたと言われている。
ドイツでナチスが政権を握ったのに対し、大本は弾圧された。第2次KKKは、活動の目的に掲げていた移民排斥というメッセージが、移民法の成立したことで弱まり、1940年代にかけてあっという間に縮小している。
2016年12月18日 大久保ブエナにて
進行:持田保、永田希
ゲスト:宇田川岳夫(フリンジカルチャー研究家)
開場時、カール・ハウスホーファー設立のヴリル協会で霊的修練の基礎となった「リンゴを使用した発芽訓練」の故事にちなんで来場者にそれぞれリンゴがふるまわれる。
ゲスト宇田川氏より2016年大分で行われたイベントの映像ダイジェスト。 「水面下でオカルト世界的ネットワークができている」宇田川岳夫
<近代から現代へのオカルティズムの系譜>
オカルティズムは戦前から存在し、何度も何度もカタチを変えて出てくる。
その主流の流れとは別に、「オリジナルな」オカルティズムを作ろうとする運動もかつてはあった。
ところが日本は戦前大本弾圧に象徴されるように、反天皇制的オカルティズム、反体制的オカルティズムは戦前ある時期から徹底的に弾圧されるようになる。
独ナチスも1937年にはフリーメイソン禁止、同時期オカルト活動禁止がなされる。この弾圧により独オカルティズムはナチスSSが独裁。その象徴となるのがアーネンエルベだった。
現在日本に伝わっている欧州のオカルティズムは、そんなナチス弾圧から逃れたイギリスやアメリカの支部から戦後となり日本に伝わってきた背景がある。
ここで注目なのがナチズム時代、ナチスに根絶やしにされたOTOやトゥーレ協会などの流れとは異なる、欧州でのもうひとつのオカルティズムの系譜がある。この系譜は日本には全く入ってこなかったが、近年その発掘作業が水面下で進行してるとの噂もある。
<日本とドイツの霊的イデオロギー>
1924年、出口王仁三郎モンゴル独立運動、そして現地での身柄拘束について。
「日本人が政治的不安定な外国でアブナイ勢力に捕まった」「それを救出するために現地に軍隊が進出した」という現代にもつながる構図。日本軍部の大陸進出のストーリーのなかに組み込まれるも、このアブナイ構図には王仁三郎は自ら進んで参加した側面もある。これが大本の怖いところ。
1934年、出口王仁三郎が右翼大物の頭山満、内田良平らと救国運動団体「昭和神聖会」創設これがトリガーとなり第二次大本事件勃発。大本は神殿をダイナマイトで爆破、王仁三郎ほか幹部たちも逮捕され死者が出るほどの拷問が繰り返される。
この徹底弾圧で大本の活動は日本敗戦までストップするも、結果として大本は宗教団体として数少ない非戦争参加団体となった。
モンゴルといえば外モンゴルを支配したロシア白軍ウンゲルン・フォン・シュテルンベルグの存在も重要。
ナチス・オカルティズムの重要人物カール・ハウス・ホーファーに多大な影響を与えたという。このウンゲルンのようにドイツ系ロシア人は危険思想が多かった。
そのカール・ハウスホーファーはかつてチベットでグルジェフの弟子だった。ナチス創設に影響を及ぼしたトゥーレ協会の会員であり、ヴリル協会創設者。ミュンヘン一揆でヒトラーが獄中にいたとき、ヒトラーに予知能力を伝授したと伝えられる。
ハウスホーファーは1908年から1910年まで日本に在住。そのとき密教系秘密結社「緑竜会」に入会。「緑竜会」では入会時にそれぞれ重大な使命が与えられる。そしてその使命の遂行に失敗したものは自殺しなければならない誓いをたてる。
ナチス崩壊後の1946年、ハウスホーファーは日本式の切腹自殺を果たした。ハウスホーファーの使命とは???
<KKKとノルディック・イデオロギー>
19世紀から20世紀初頭にかけて中央集権が非常に揺らいでいた地域が日本、ドイツ、そしてアメリカ。もちろん他にも、世界中が揺れていましたけど。この日独米の3つの地域を比較すると興味深いことが見えてくる。
第一次KKKは南北戦争の南軍残党により結成された秘密結社。黒人の選挙妨害など。
第二次KKKはアジア人排斥運動。ノルディック・イデオロギー。北方民族優生思想。アメリカ最初の移民はアイルランド、スコットランドなど北方白人が多く、北方民族優生思想は自己肯定のために重要だった。
しかし20世紀になるとアジア人の流入が大きくなり、WASPがアジア人たち(と北方優生思想が「地中海人種」と呼ぶ南ヨーロッパ人たち)を導かなければならないというイデオロギーが流行。
第2次KKKは、1920年以降にプロの興行師を雇い急速に拡大。最盛期には900万人ものメンバーがいたという説もある。この数字そのものは眉唾だが、そう言いたくなるほどの規模の巨大さだった。
ワシントンDCやフィラデルフィアで行われた数万人規模のパレードは現在でもyoutubeで見ることができる。これは、のちのナチスのパレードと酷似している。
この時期のKKKは、中産階級に広く枝を伸ばし、当時の禁酒法などの表向きの道徳に擦り寄っていた、ある意味でポピュリズム的な性格がある。
のちに黒人を爆弾やリンチで殺しまくるテロリスト集団である第3次KKKとは対照的ですらある。なお、トランプの父も第2次KKKメンバー。
第2次KKKの創設者は元フリーメーソンで、1920年以降の拡大に際しては、フリーメーソンその他の秘密結社のネットワークが活用されたと言われている。
ドイツでナチスが政権を握ったのに対し、大本は弾圧された。第2次KKKは、活動の目的に掲げていた移民排斥というメッセージが、移民法の成立したことで弱まり、1940年代にかけてあっという間に縮小している。