セカンド・サマー・オブ・ラブとMDMA

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    1912年ドイツ製薬会社「メルク社」によって開発されながらも製品化されることのなかったMDMA。1950年代に入りアメリカ陸軍で軍事利用可能か否かの研究がなされるも「実用不可」の烙印を押され研究は頓挫。時は過ぎ1960年代に初めてアメリカの化学薬品メーカー「ダウ・ケミカル社」所属の薬理学者/化学者アレキサンダー・シュルギンの自らの人体実験によって、その効能が発見されることとなる。

     

    その後MDMAがもたらす「多幸感」「脱不安感」「共時性」「肉体的運動欲求」などの作用は、シュルギン博士を経由して多くの心理学者やサイコセラピストの注目を集め、抗鬱などの臨床実験に使用された。

     

    その一方、ドラッグ行動主義者や、ナイトクラバーたちのトび道具として、またニューエイジ界隈や宗教団体の神秘体験用アイテムとしても抜群の効能を発揮したMDMAは、1985年「ニューズウィーク」誌のバッシング特集記事をきっかけに危険薬物視され社会問題に発展。保守派世論にすばやく対応したアメリカ連邦麻薬取締局DEA、そしてインターポールICPOから同年イリーガル認定をくだされることとなる(注1)。

     

    地下に潜ったMDMAは他のイリーガル・ドラッグ同様に米アンダーグラウンドに流通。新世代のドラッグ(注2)としてMDMAはますます勢いを増し、やがてアメリカを超え、ヒッピーたちやサニヤシン(注3)などの手により欧州に広がっていく。

     

    ホセ・アグエイアスが予言した「ハーモニック・コンバージェンス」により、世界規模でのアセンション・ムーブメントが勃発した1987年ごろにはインドのゴアやタイのパンガン、スペインのイビザなどといったグローバル・ヒッピーたちの聖地で開催されていたアシッド・パーティーに、密輸されたMDMAが爆発的に拡散されるようになる。これによりロック・ミュージックをバックにLSDなどをキメて踊っていたアシッド・パーティーは、一気にハウスのデジタル・ビートで踊るレイヴへと変容を遂げることとなる。

     

    神経化学的メカニズムは不明だが、胎児の心拍数である120BPMの電子信号とMDMAの相互作用はこれまでのダンス・カルチャーに革命的な変革をもたらした。

     

    ”究極の位相同期はダンスそのもののさなかに起きる。数千人の「おなじ心を持つ」若者たちがハウス・カルチャーの部族的儀式をとりおこなう。ダンスは全員をひとつの同期した瞬間にリンクさせる。おなじドラッグ、おなじ生活時間を共有し、おなじ120BPMのサウンド・トラックにあわせて踊る。彼らは完全に同期している。新しい現実が自発的に出現するのはこうした瞬間だ。”ダグラス・ラシュコフ著「サイベリア」より

     

    MDMA、そしてレイヴ・カルチャーはヒッピーの聖地から英国に渡り空前絶後の乱痴気騒ぎ、セカンド・サマー・オブ・ラブを誕生させる。

     

    その享楽性により60年代のサマー・オブ・ラブに比べ「政治的主張も何もない単なる馬鹿騒ぎ」と当時世間からバッシングされがちだったこのセカンド・サマー・オブ・ラブ。

     

    しかし1989年”鉄の女”サッチャー政権が任期10年目を迎え、富裕層優遇措置によるバブル発生で拡大した格差社会における「負け組」たちの孤立感や閉塞感・・・・・そして同年に発生する天安門事件や東欧革命、ベルリンの壁崩壊といった歴史レベルでの世界変革に対する集合意識とが共振作用を起こし、セカンド・サマー・オブ・ラブはビッグ・バンを起こす(注4)。

     

    「人種や宗教の違い、貧富の差などといった事柄などMDMAとレイヴがあれば何の問題もない」レイヴ・コミュニティーの一体感のなか、多くのケミカル・フラワー・チルドレンたちがかつての60年代の先人たち同様に本気でそう感じていた。しかし夏は過ぎ季節は移り変わる。そう、60年代同様に。

     

    金の匂いを嗅ぎつけた実業家やギャングたちによりレイヴ・パーティーは食い物にされ(注5)、さらに肝心のMDMAにはPMAや殺鼠剤などの混ぜ物が入った不良品が流通するようになりトラブルが続出するようになる。

     

    そしてかつてのパンクよりも拡大したレイヴ・ムーブメントに、大衆コントロール不能の危惧を抱いた英国政府は「ドラッグ蔓延を取り締まる」という表向きの名目で1994年、反レイヴ法案である「クリミナル・ジャスティス・アンド・パブリック・オーダー・アクト1994」(注6)を可決。これによりイリーガルな野外レイヴ・パーティーは完全に止めを刺されることとなる。

     

    以降、わずかに残ったイリーガル派はアンダーグラウンドの奥へと潜伏する一方、法や体制への服従を(表面上だけだとしても)誓ったリーガル派はビジネス展開を本格化。商業フェス化したレイヴ・シーンはベルリンのラヴ・パレードや、日本のレインボー2000(注7)などを筆頭に世界規模に拡大。現在ではポルトガルのブーム・フェスティバルにおけるトランス・シーンや、米マイアミのウルトラ・ミュージック・フェスティバルに代表されるEDMシーンなどのの源流となっている。

     

    これらの「健全な」シーンにMDMAが現在進行形としてどれだけ関わっているかは不明だが(注8)、かつてのセカンド・サマー・オブ・ラブにおける「カオスを母とする」スピリット・・・・・DIY、自治&アナーキズムの精神は、米バーニング・マン(注9)に顕著なように異教化、秘境化の彼方にこそ継承されているといえるだろう。

     

    (注1)イリーガル認定をくだされることとなる

    日本での規制は1990年から。それまでは合法ドラッグだった。

     

    (注2)新世代のドラッグ

    武邑:バロウズというのはドラッグに関して非常にスタティックなんですよね。最近ニューヨークで「エクスタシー(MDMA)」というクスリが流行ってて、これは完全にスピード系なんだけれども。これはバロウズが60年代に言っていた第二次大戦の自白剤、あと血管拡張剤という、バロウズがそれを媚薬だと言っていたものの、もう一方を加速させたクスリなのね。「エクスタシー」は言ってみればバロウズをドラッグ・カルチャーの文脈の中で未だにファッションとして人間にとっては、バロウズに捧げたクスリとしか思えない(笑)

    坂本:そうですね、要するに副作用のない覚醒剤とLSDを混ぜたようなものでしょ。

    1986年WAVE 5号 特集:メタフィクション 対談:坂本龍一 V.S. 武邑光裕 “W.バロウズのサブ・ヴォーカリゼーション”」より

     

    (注3)サニヤシン

    インド人宗教家バグワン・シュリ・ラジニーシ(a.k.a.オショウ)を教祖とする信徒。ラジニーシが米オレゴン州で開設したアシュラム(道場)では修業の際にMDMAが使用されていたとの噂もあった。

     

    (注4)セカンド・サマー・オブ・ラブはビッグ・バンを起こす

    ビッグ・バンの起爆剤となったのは当時レイヴ・カルチャーをバック・ボーンに持ったロック・バンド、ハッピー・マンデーズ(主要メンバーがプッシャーだった)やストーン・ローゼスなどの大ブレイク、いわゆるマッドチェスター・ムーブメントによる部分が大きかった。

     

    (注5)レイヴ・パーティーは食い物にされ

    日本の野外トランス黎明期にも、ある日を境にパーティー開催地の山の中まで黒塗りの高級車が大挙して押し寄せるなどの出来事があったと聞く。

     

    (注6)クリミナル・ジャスティス・アンド・パブリック・オーダー・アクト1994

    ジョン・メージャー保守党政権の内相だったマイケル・ハワードの立案による反レイヴ法案。「音楽を増強拡大して使用した、100人以上の人間による、夜間の野外集会」が取締り対象となり、事実上これまでのレイヴ・パーティーは存続不可能となった。

     

    (注7)日本のレインボー2000

    1996年8月10日、日本ランドHOWゆうえんち(現在フジヤマリゾートぐりんぱ)で開催された日本初のメジャー・レイヴ・パーティー。アンダーワールド、CJボーランド、石野卓球、ケンイシイ、細野晴臣、ミックスマスター・モリスらが出演。多くのマスコミが取材に駆け付けるなか、会場ではイルミナティなるものが配布されたとの伝説もあり。またこの頃よりエクスタシー(MDMA)がなぜかセックス・ドラッグとしてマスコミに取り上げられるようになる(当時は合法)。

     

    (注8)MDMAが現在進行形としてどれだけ関わっているかは不明だが

    2012年マイアミのウルトラ・ミュージック・フェスティバルに出演したマドンナがオーディエンスに向かって「このなかでどれくらいの人がモーリー(MDMA)に会ったことあるのかしら?」と発言。すかさずEDMミュージシャンのデッドテックから「EDM=ドラッグと思われるような発言はやめるべき」との「健全な」批判がなされたエピソードは本気でゲンナリさせられたという意見も多い。

     

    (注9)バーニング・マン

    1986年より米ネバダ州ブラックロック砂漠で毎年開催されているイベント。レイヴ・パーティーのみならず、絵画や彫刻などの芸術制作、大道芸、デコレーション・カー、ホリスティック療養までありとあらゆるパフォーマンスが義務付けられ、なおかつ幣経済や商行為を禁止し、相互扶助によって期間限定のコミュニティを形成することを目的としている。イベント最終日には「ザ・マン」と称された人型の木造を燃やすことで知られるが、主催者いわく映画“ウィツカーマン”でお馴染みのドルイド教儀式とは一切関係がないとのこと。


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